読んで書いて

何かを読ませていただいて何か書きます

『不登校園児でした | tysojの日記』を読んで

今日も、なにか読ませて頂いて何か書く。

 

ようこそブログをまた歩く。

これにしよう。

tysoj398224.hatenablog.com

 

◯要約

 私は、幼稚園に行くのが嫌だった。私が幼稚園に行っている間に母がどこかに行ってしまうのではないかと不安だったのだ。そんな私に母がしてくれたことを今でも感謝せずにはいられない。

 

 いい文章よな。

 筆者のお母さん、一体何したの?という人は原文へ。

 

◯調べたこと

 今日も調べる。

不登校とは

 不登校とは,何らかの心理的・情緒的・身体的あるいは社会的要因・背景により,子どもが登校しない,あるいはしたくともできない状況にあること(ただし,病気や経済的理由によるものを除く)をいいます。

引用元:「不登校の早期発見・対応」

https://www.yokkaichi.ed.jp/e-center/html/futoukou_tebiki/images/01-09.pdf

 引用元では、不登校の原因を大きく5タイプに分けて、実際にはそれらが複合しているケースも多いと書いている。そして、以下のようにまとめている。

何に起因した不登校であるかを見極めることは,対応する上で大切なことですが,原因探しをすること以上に,子どもが不登校という症状で,何を訴えようとしているのかを考えていくことが重要です。 

引用元:「不登校の早期発見・対応」

https://www.yokkaichi.ed.jp/e-center/html/futoukou_tebiki/images/01-09.pdf

 

 いいこと書いてるなと思う。

 もし自分の子どもが不登校になって、自分の子どもがいじめられているとわかったら、いじめっ子を突き止めて、排除しようとするかもしれないけれど、もしかしたら、子どもが望んでいるのは、復讐ではなく、ただの平穏かもしれない。

 問題が起こった時、それを解決しようとするのは自然な思考だと思う。けど、問題を表現として捉えたとき、その問題は必ずしも解決する必要がないということがわかると思う。それが表現であるなら、するべきは解決ではなくて、理解ということになる。

 時に応じて、思い出したい考え方だと思う。

 

・母親について

 動物と母親について調べると、色々な子どもの育て方というか、生き方を知ることができる。

クオッカの母親は、野生のディンゴと遭遇すると、自分が逃げるためにどのような行動を取るか想像できるだろうか? そう、なんと母親は自分の子を投げ捨てるのだ 

引用元:自分はひどい母親と落ち込むあなたへ 動物界のさらにひどい母親たち(2/2) - CNN.co.jp

コブハサミムシのように、母虫の体が幼虫の最初の餌になるものもあります。

引用元:

『むしコラ』 コブハサミムシの仔虫はなぜ母親を食べるのか?

閉経し、生殖能力を失ったあとも長く生き続ける動物はたったの6種類。ヒトと5種のハクジラだけだ。

引用元:閉経した母親シャチが守るのは息子だけ、娘や孫は守らず - 日本経済新聞

 

 人間で同じことが起こっていたら、引いてしまうような内容が、探せば出てくる。そして、これらは環境への適応や、種の繁栄への選択の結果、起こっているということが色んな記事で決まり文句みたいに現れる。

 それが事実かどうかを判定できる情報を毎度のことながら、持っていないのだけれど、この考え方もある種の救いだと思う。

 一見、全然だめに見えるものが種の繁栄の一助になっている可能性もある。そう思うと、少しは色んなことを許せる気がする。

 

◯考えたこと、思ったこと

 筆者の抱いていた不安は、全然的はずれなものじゃないよな。実際のところ、ありえる話だ。学校や職場に行っている間に、大切な人がどこか遠くへ行ってしまい、もう二度と会えなくなること、世の中には嫌というほどあるだろう。

 子どもの頃には、自分の頭の中にも筆者と同じ不安があったはずなのに、それがいつの間にか消えてしまっていることに気付かされる。その不安は、どこまで行っても解決していないはずなのに。

 この状態は成長し、大人になったということなのか。ただ単に想像力が欠如し、感覚が鈍くなっただけなのか。それとも、大人になるということが、想像力や感覚を鈍らせる過程なのか。

 だとするなら、今感じている不安や焦りもいつの日か恋しくなる日が来るのかもしれない。必死になって手放したものを後から、拾い集めようとするみたいなことをするのかもしれないし、もうすでにそんなことをしているのかもしれないなと思った。

 

◯最後に

 筆者様、お母様との素敵な思い出を紹介してくださって、ありがとうございました。日々の生活の中で、いつの間にか薄れていた感覚を思い出すことができました。筆者様の探す答えが見つかる日をお祈りいたします。