『Vtuber初めての配信を終えて|hoyonco’s diary』を読んで
何かを読ませていただいて何か書く。
今日もようこそブログを眺める。
これにしよう。
◯要約
Vtuberになってゲームをするという目標を達成した。上手く行かなかった部分もあるけれど、やってみたからこそ、わかること、楽しかったという経験がある。(終わり)
前を向いて頑張っていこうとする姿勢が、今回の記事だけでなく、ブログの記事からも伝わってくる。
力をもらいたい、という人は原文へ。
◯調べたこと
いつの間にか通り過ぎてることを調べておく。案の定、記事とは、あまり関係ない。
・YouTubeの由来
テレビを意識していたのか。あまりにも当たり前の存在すぎて、考えたこともなかった。けど、広告で収入を得るというやり方は、言われてみれば、確かにテレビそのものだ。
では、創始者たちはテレビ関係者だったのかと、Wikipediaを眺めてみると、そうではない。面白いものだなと思う。テレビ番組を作る側の人間よりも、人がテレビに対してどのように関わりたいかという思いを理解していたのは、彼らだったのだ。
◯考えたこと、思ったこと
ふと考えた。自分だったら仮想世界でやりたいことはなんだろう?
やはり、ブログを書きたい。さすがに嘘。
全然浮かんでこないな。
空を飛びたいとも、過去に行きたいとも、未来に行きたいとも、物語の世界に入りたいとも思わない。強い望みがない。
けど、現実を好きなように変えられるという条件なら、やりたいと思う。ちょっと飛んで、脚立がなくても上にあるものを取りたいし、過去も未来も塗り替えたいし、ひどい現実を物語にしたいし、素晴らしい物語を現実にしたい。
この差が示すのは、僕が現実に軸を置いている、というか、現実に縛られているということなんだろうな。どこに行っても、何をしても、結局は、現実に引き戻される。
それなら、何をしても、どこに行くのも意味がないんじゃないか、という考えが頭の中で巣食っている。
また、たらたらと悲観的なことを書いてしまったが、この記事に一つ希望があったと思う。
筆者がVtuberと実況者の違いはなんだろうと疑問に思ったことだ。僕は、筆者がVtuberになって実況をしようと考えたのは、ありのままでは実況できないと思ったからだと思う。
でも、Vtuberに実際になってみると、実況をすることができた。そして、それが実況者として実況することとほぼ同義だと感じたから、その差異が気になったと思うのだ。
非日常が現実を変えることがある。実際には、現実が変わったわけでないけれど、認識が変わっている。つまるところ、自分が変わっている。
現実が確実にあり、最後には引き戻されるとしても、経験や行動でそのあり様は変えていけると思えた。
◯最後に
筆者様、貴重な体験をブログに書いてくださりありがとうございました。自分一人では、考えることはなかったであろうことを、考えることができました。筆者様の経験や知見が、より多くの人に届くことをお祈りいたします。